チリワインは「ニューワールド」「新世界」ワインと呼ばれています。ここ数年で躍進を遂げたチリのワインは、一体どのような歴史を歩んできたのでしょうか。ここではチリワイン躍進の歴史を簡単にご紹介しましょう。

チリワインのあけぼの

ここ10年くらいの間に躍進を遂げているチリワインですが、そのため、ワインの歴史は浅く、まだまだワイン新興国であるというイメージなのではないでしょうか。
ヨーロッパ以外のワイン生産国の中では、中国の次にチリが最も古いワイン造りの歴史を持っているといわれています。
実際にチリのワイン造りの歴史は古く、16世紀にはスタートしていたといわれています。
スペイン人の征服者と宣教師らが、さまざまな大陸征服を行う旅をしていたわけですが、彼らはたまたまチリに降り立ちます。
ワインはキリスト教の宣教師たちが手掛けていたことでも知られており、それはミサの時にキリストの血として飲まれていたからです。その結果、宣教師がチリにやってきたということになれば同じようにミサも行われ、そこにワインも必要になってきます。
当時、輸入には大変時間がかかり費用も莫大なものになることから、この地に直接ブドウ樹を植えて育て、それをワインにしようという案が持ち上がったのでした。
このような背景から、チリワインの歴史がスタートすることとなったのです。

宣教師たちによってブドウを入植、征服者によって中央部でのブドウ栽培がスタート

さて、宣教師たちがチリの地にやってきて、実際に苗木が入植されたのは1548年といわれています。
フランシスコ・デ・カラバンテス司祭という人物によってブドウ苗木が持ち込まれており、フランシスコ・デ・アギーレという征服者の農園に植えられ、栽培、収穫が行われたという記録が残っているようです。これが、チリワインで最も古いブドウ栽培の歴史といっても良いのではないでしょうか。
現在のチリワインのブドウ産地やワイン銘醸地はセントラルバレーをはじめとした中心部ですが、当初は北部から始まったとされています。その後ペドロ・デ・バルディビアという征服者によって、中央部でのブドウ栽培がスタートしたといわれています。

フィロキセラが大きな転機

フィロキセラは、ブドウ根アブラムシとも呼ばれており、ブドウの樹自体を枯れさせてしまうという、恐ろしい寄生虫です。
一説によると、1855年のパリ万博の時期に世界中からさまざまなものが持ち込まれ、その時にフィロキセラが侵入してきたのでは、ということがいわれています。
外国間での自由な行き来が行われはじめた時期とも重なり、このような背景でフランス国内のブドウ樹は壊滅的な被害を受けることとなりました。
対策として、ヨーロッパのブドウではなく、土台の台木にアメリカブドウ、つまり生食用ブドウの樹を組み合わせたことで解決しましたが、やはりこのダメージは未だに続いているといわれます。
チリには、シルベストレ・オチャガビーアという人物が有名ヨーロッパ品種の苗木を多く持ち込んできたことで知られていますが、それはフィロキセラが発生する前のことです。
つまり、フィロキセラに一切冒されていない苗木しかチリには無く、さらにフィロキセラはチリには上陸していません。つまり、チリで栽培されているブドウ樹は、台木無しの自根のものしかない、ということです。害虫からの被害がなかったということは奇跡的な偶然です。
樹齢100年以上のブドウが多く存在しており、スペインから持ち込まれているパイス種といった伝統品種も未だ元気にブドウの実を成らせます。
このフィロキセラ禍に無縁でブドウの木自体が健康ということがチリワインの評価を高めた要因のひとつといえるでしょう。

優れた産地として人気が信頼に

今、日本でチリワインが人気となっている最大の理由はずばり、その価格の安さでしょう。
特別な日の飲み物だったワインを、徐々に日本の家庭の食卓に浸透させ、あっという間に日常のささやかな楽しみとして立ち位置を獲得しています。